音波女子100人100通りの働き方

RELAY ESSAY · VOL.01

専業主婦を経て、
エコーの世界へ

― ブランクがあっても、もう一度学ぶことはできる ―

私が超音波検査に本格的に向き合うようになったのは、仕事に復帰してからでした。

専業主婦になる前、腹部と乳腺の超音波検査を1年間だけ担当していました。しかし、学会や勉強会に参加したことはなく、超音波を専門的に学んでいたわけではありませんでした。

その後、結婚を機に退職し、約9年間、専業主婦として過ごしました。

子育てに夢中になり、検査のことを思い出すこともなく、超音波の世界からは完全に離れていました。

今振り返ると、その時間はとても幸せで、専業主婦という日々を心から楽しんでいたと思います。

だからこそ、仕事に復帰するとき、自分が超音波を専門に仕事をするようになるとは想像もしていませんでした。

「できない私」を受け入れてくれた職場

復帰した頃の私は、超音波だけでなく、臨床検査技師としても経験の浅い技師でした。

9年間のブランクがあり、知識も技術も十分ではありません。

そんな私を、生理検査や検体検査の皆さんは温かく迎えてくださいました。

当直では何度も助けていただき、「分からない」と言える環境がありました。

乳腺外科の吉本先生には、検査だけでなく、学会への参加、抄録の添削、研究テーマの考え方まで、本当に多くのことを教えていただきました。

あの環境があったからこそ、私は少しずつ前へ進むことができたのだと思います。

少しずつ、超音波が好きになった

最初から超音波が好きだったわけではありません。

むしろ、「できるようになりたい」という気持ちの方が強かったように思います。

分からなかったことが分かるようになり、見えなかったものが見えるようになる。

その積み重ねが少しずつ楽しさへと変わり、気づけば超音波の面白さに夢中になっていました。

勉強会へ参加し、学会で発表する機会をいただき、研究や執筆にも携わるようになりました。

そして、仕事に復帰して学会へ入会してから3年後、40歳で超音波検査士を取得しました。

あの頃の私は、今の自分を想像することはできなかったと思います。

キャリアは一本道ではありません

私のキャリアは、決して一直線ではありませんでした。

専業主婦だった9年間があります。

ブランクもありました。

ほとんどゼロから学び直し、40歳になってから、超音波検査士を取得しました。

一見すると遠回りだったように思えるかもしれません。

でも、その時間があったからこそ、患者さんや、同じように不安を抱えながら働く人の気持ちに寄り添えるようになったのではないかと思っています。

遠回りに見える時間も、人生にとっては決して無駄ではありませんでした。

今の私があるのは

私は、「努力だけで今がある」とは思っていません。

今の私があるのは、多くの人との出会いと、支えてくださった環境のおかげです。

復帰したばかりの私を温かく迎えてくださった職場の皆さん。

一つひとつ丁寧に教えてくださった先輩方。

挑戦する機会をくださり、背中を押してくださった先生方。

一人では、今の私はありません。

だからこそ私は、あの時いただいた温かさを、今度は誰かへ返していきたいと思っています。

音波女子も、一人で頑張る場所ではなく、学び合い、支え合い、誰かの一歩を応援できるコミュニティでありたいと願っています。

これから

「100人100通りの働き方」では、さまざまなキャリアを歩む超音波技師のストーリーを紹介していきたいと思っています。

病院勤務。
クリニック勤務。
フリーランス。
子育てとの両立。
研究。
教育。

働く場所や働き方は違っても、それぞれに悩みがあり、喜びがあり、その人だけの物語があります。

誰かの経験が、誰かの勇気につながる。

そんな記事を、一つひとつ積み重ねていきたいと思っています。

キャリアに正解はありません。
100人いれば、100通りの働き方があります。

この記事が、あなたらしいキャリアを考える小さなきっかけになれば嬉しく思います。

― 音波女子

誰かの経験が、誰かの一歩になる。

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